聞いたことありますか?
きのう、訪問させていただいた方から、貴重なお話をきかせていただくことができました
戦争体験です 国分寺市で空襲にあったこと、国分寺駅のあたりには当時、建物がほとんどなくて、爆弾を避けようにも逃げ場もなくて、死んだふりをするのに地面にはいつくばったそうです 戦後、給食が始まっても、配給されるのは実のないお味噌汁だけ! それをよそう器もなく(もっているこは55人のクラスで5人くらい、お金持ちの子だけ)弁当箱のふたにいれてもらうのですが、あつくてもてず(アルマイト?は熱伝導いいですから)さめるまで飲めなかったと 肝心のお弁当はさつまいもとたくわんだけ・・・ いまのこどもたちの給食とはまったくちがうものだったと、語っておられました 70代前半のその方、小学校でこの体験を語っているそうです 「語りべ」とても大事なことです
わたしの母は広島出身、すぐ上のおばは被爆者です わたしは中学・高校時代を広島で過ごし、学童疎開をしていた母の体験を聞いて育ちました 被爆者の声、つらさ それらをきき、高校生のときに文集作製にたずさわりました 「わたしが聞いたヒロシマ」第三文明社から発刊されました 終戦後60年以上がたち、どんどん体験をされた方々が亡くなっていきます その体験が風化していっているのが現実です みすごすことはできません
貴重な体験、なんとかして多くのこどもたち、また話をしらない大人にもきいてほしいとおもいます そこから学びうるものは「戦争の悲惨さといのちの大切さ」です
決して忘れてはいけないことです 自らの小さな枠にとらわれず、もっと大きな立場でものごとを考えていかなくてはいけないでしょう みんながです・・
昨年の第3回定例会での一般質問でも、このようなことを冒頭にのべさせていただきました いまわたしに何ができるか 否、何をしなくてはいけないか 早急に考えなくてはいけない問題ですね Aさんの話をきいて、心のそこから感じました
おもしろくない、堅苦しい文章でしたが、たまにはまじめに・・
我が家のハーブプランター スペアミントにカモミール、さくらそう、いろいろ繁ってきました ハーブは強いです 枯れたようにみえても、春になると青い葉を繁らせます 強い生命力を感じます このようにたくましくならなくては!ね これ以上強くなったら
・・・という声がきこえます
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