さの 久美子です♪
今日の3時からは東京都本部女性局の講演会
「心のバリアフリーについて」
NPO法人日本アビリティーズ協会 会長 伊東弘康氏
「障害者差別解消法」成立までの経緯とねらい
心のバリアフリーといっても心の基準がない
でもこの法律ができたことで基準ができたといわれます
1990年にアメリカでADAが制定される
2001年、国連が当時の小泉政権に対して「法律を作る」ように勧告するも政府は無視・・・
同年、日本弁護士会が「人権擁護大会」にて障害者差別禁止法制定を目指す運動方針を出す
その12月JDA(障害者差別禁止法)を実現する全国ネットワーク設立
2006年12月 国連で障害者権利条約が採択される
Nothing About Us Without Us(わたしたちのことを、私たち抜きに決めないで)
2009年3月 政府は国内法の見直しをせず、障害者権利条約を国会で批准することを決めていた
でも、当事者たちは何も知らされず、批准よりも国内法見直しが優先!と
そこで立ち上がったのが高木美智代議員でした
今日お見えになった伊東氏は高木美智代さんを高く評価
紆余曲折がありながらも、2016年「障害者差別解消法」が4月に施行
《障害があってもなくても、誰もがわけ隔てられず、お互いを尊重して暮らせるよう、差別を解消して、誰もが安心して暮らせる豊かな共生社会を実現する》
合理的配慮。。。障害のある人とない人の平等な機会を確保するための配慮(変更・調整・サービス)
高木美智代さんはこう語られました
ハード面のバリアフリーと心のバリアフリーがあるが・・・
心のバリアフリーから見ていくと、社会の側に壁がある
社会モデルと医学モデルの両面から進めていく必要がある
障害者の能力を生かしていく社会
安心していける社会が必要だと
公明党はこの間ずっと障害者施策を進めてきた
それは「障害者の人たちが安心して暮らせる社会を作るという思い」でやってきたから
先輩から後輩へと連綿と思いをつないできたのが公明党の議員
大事なのは「当事者の声の反映」
勉強とともに、党の先輩方の熱い思いを教えていただいた時間でもありました
最近のコメント