看取りました
6月11日18時母が逝去
多くの友人からのお悔やみの言葉をいただきました
ここに感謝m(_ _)m
アルツハイマー病と脳梗塞、拡張型心筋症を持っていた母
いずれも手術も治療もできないことから12月から静かに暮らすことを選択
もちろん妹とわたしの二人の決断
療養型病床ではなく、サ高住でフル介護を受けました
「看取り」を選んだのです
4月にも再入院、機器につながれる母を見て施設にもどりました
好きなものだけを食べ(ほんの少量)静かに穏やかな暮らし
優しいスタッフに囲まれ、励まし励まされ
病院にいたときとは別人の母
6月3日、母を訪れ「一般質問おわったよ~」
と告げると「そう~」と笑顔
その翌々日から急変
酸素マスクをつけ、昏睡状態が続きました
9日、孫2人も駆け付け、東京親族6人が勢ぞろい
それに安心したのでしょうか?
9日夜は妹が泊り、10日はわたしが泊りました
どんなに呼んでも、決して開かなかった目が開いたのが、11日夕方
泊り明け、いったん帰宅後再び17時半に戻りました
その直後から急変
120ほどあった脈拍が50台におち、呼吸が乱れます
目が開きました
看護師が「ついていてあげてください」と部屋を退出
妹と覚悟し、妹が右手、わたしが左手を握り母を呼びました
大きくしっかりと目を開け、二人を確認し
ふーっと大きく息を吐いて、呼吸が止まりました
静かな静かな一瞬
その最期の瞬間を妹と共有できました
それは子どもとして最高の思い出です
治療ができなかった故、看取りを選択したことが正解だったことを二人で確認しあいました
みながなかなか選択できるわけではないですが・・・
器械に囲まれない最期
それも一つの道です
6年前に父を送り、いままた母を送ります
何があっても「無条件で愛してくれる親」
失いました
それが悲しみです
つらつらと備忘録のように書いてしまいました
読んでくださった方がた、ありがとうございましたm(_ _)m
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